東京地方裁判所 昭和53年(ワ)7444号 判決 1982年8月25日
原告
中村欣正
原告
中村礼子
右両名訴訟代理人
服部邦彦
同
藤村義徳
被告
医療法人財団
田谷病院
右代表者理事
田谷実
被告
田谷実
被告
渡辺光廣
右三名訴訟代理人
高田利広
同
小海正勝
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一請求の原因1及び2の各事実はいずれも当事者に争いがない。
二被告渡辺の過失について
1 不潔な手指による内診について
原告ら主張の請求の原因3(一)(2)(イ)の事実中、被告渡辺が待機室において原告礼子に対し、内診及び人工破膜を実施したこと、待機室中には消毒設備が備えられていなかつたことは当事者間に争いがない。しかし、被告渡辺が右の内診、人工破膜等を実施するにあたつて、扉の把手等の物に触れたまま消毒もしない手指を用いて、これを実施したとの点、助産婦が右と同様に不潔な手指を用いて原告礼子に対し内診を実施したとの点については、原告中村欣正、証人榎戸威子は、右趣旨に沿う供述をするが、右各供述は、これに反する被告渡辺光廣本人尋問の結果と対比すると、たやすく信用することができず、他に右事実を認むべき証拠はない。
2 陣痛促進剤点滴の放置と胎盤剥離面からの細菌感染について
原告ら主張の請求の原因3(一)(2)(ロ)の事実中、原告礼子が、入院後一時間おきにアトニンの筋肉注射を受け、待機室入室後、分娩室に移された午後一一時二〇分頃までアトニンの点滴を受けたこと、早期胎盤剥離(部分的)を生じたことは、当事者間に争いがない。原告らは、原告礼子の早期胎盤剥離は被告渡辺がアトニン点滴の流量調節を怠つたために生じた過強陣痛によつて発生し、その剥離面が児への細菌感染路となつたと主張するので、この点について判断する。
(一) 過強陣痛の存否
原告中村欣正本人、証人榎戸威子は、待機室で原告礼子に付き添つていたが、分娩室に移される前の原告礼子の陣痛は、異常に強いものであつた旨供述する。しかし、原告礼子の陣痛の強度は、正常の範囲であつた旨の被告渡辺光廣本人の供述及び本件において過強陣痛があつたとは考え難い旨の鑑定人鈴木正勝の鑑定の結果に照らすと、前記各供述のみによつては、過強陣痛の存在を認めるに足らず、他にこれを認むべき証拠はない。
(二) 本件胎盤早期剥離の原因
鑑定人鈴木正勝の鑑定の結果によると、本件の胎盤早期剥離の原因は不明であるが、過強陣痛は子宮全体の過度な収縮によるもので、過強陣痛によつて胎盤早期剥離が生じたとすれば、その範囲は広範なものと考えられるが、本件の剥離は、ごく小部分のものなので、過強陣痛によるものとは考え難いことが認められる。
(三) 感染経路
鑑定人鈴木正勝の鑑定の結果によると、次のとおり認められる。
俊太郎の髄膜炎の感染源としては、産道を通過する際の産道常在菌による可能性と汚染された羊水による可能性が考えられる。しかし、胎盤剥離面からの細菌の侵入は、本件の場合は考えられない。すなわち、剥離面が胎盤の辺縁であつて、卵膜に達していれば、剥離部への細菌の侵入を否定できないが、その場合には外子宮口からの出血があるはずであるが、本件においてはこれが認められていない(出血があつた旨の証人榎戸威子の証言は採用しない。)ので、剥離部は辺縁ではないと考えられるからである。
以上の(一)ないし(三)によれば、被告渡辺がアトニン点滴の流量調節を怠つたことが、俊太郎の髄膜炎感染の原因であるとの原告らの主張は、採用することができない。
3 髄膜炎発見の遅滞について
原告ら主張の請求の原因3(二)の事実中、俊太郎の髄膜炎罹患の事実を被告渡辺が昭和五二年六月二九日まで発見していなかつたことは当事者間に争いがない、原告らは、より早期に発見されるべきであり、早期に発見していれば、治癒可能であつたと主張するので、この点について判断する。
<書証>及び鑑定人鈴木正勝、同矢田純一の各鑑定の結果によると、次のとおり認められる。
(一) 一般に、新生児髄膜炎の頻度は、新生児の0.04%ないし0.05%と少なく、新生児感染症の2.1%とされている。その初期症状は、はつきりしないことが多く、発熱、食欲不振、不機嫌、嗜眠、呼吸困難などが主要症状である。髄膜炎に特有な症状はなく、嘔吐、痙攣などが髄膜炎の疑いをおく症状と考えられる。診断は、症状のみによつては困難であるが、腰椎穿刺を行えば確診できる。
(二) 俊太郎は、出生当初、発熱はなく哺乳力は良好、体重減少も正常範囲で、六月二六日まで一般状態は悪くなかつた。二七日午後六時から嘔吐が始まり、哺乳力不良となり、二八日にも嘔吐があつた(なお、俊太郎の状態についての原告中村欣正本人の供述は右認定に反する限度では採用できない。)ことから、発病は、生後四日の二七日夕方からと推定される。
したがつて二七日の夕方か、あるいは二八日に腰椎穿刺をすれば、発見できたかもしれない。しかし、その症状は重篤でなく抗生物質を投与していること及び母体の症状からみて、二九日の痙攣発作発現以前に腰椎穿刺を要求することは無理と考えられる。
(三) 俊太郎には、解剖の結果、デ・ジョージ症候群(胸腺の先天異常等による免疫不全症)が認められた。感染症の治療は、抗微生物薬と宿主の免疫学的防禦機序の両方によつてはじめて完全なものが期待できるのであつて、免疫不全症の本件児にあつては、誕生後三日目の二六日に髄膜炎を発見し得たとしても、一旦おこつた感染を防禦することは困難と考えられるので、予後に大きく影響したとは考えられない。
右(一)ないし(三)のとおりであつて、原告らの前記主張も採用することはできない。
三以上のとおりであるから、原告らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(白石悦穂 窪田正彦 山本恵三)